[032] forget forgot forgotten



 アルフレッドは、すごい早さで大きくなった。あっという間に俺の背を追い越して、アーサーの背を…追い越していった。身体も厚くなったし、どことなく風格すら出始めた。けれど彼はまだ、どこか子供だった。特にアーサーから見れば、特に彼はまだまだお子様だった。俺にとっても、彼はまだまだ若かった。ヨーロッパの国々と比べると、彼にはまだ歴史というものが短かった。
 海に沈むようにして消えていく夕日を、俺は砂浜に座り込んで眺める。砂を踏むザリザリという音を聴いて、さて…渦中の人物のお帰りだ。俺は上体を捻って声を掛ける。




「お帰り、浮かない顔だね。どうだったの?今日の会議は」
「うん…また、課税だってさ」




 浜辺に似合わないスーツ姿で現れたアルフレッドは、苦笑しながら俺の隣に座り込んだ。俺はちょっとぎょっとする。彼は一瞬の躊躇もしなかった。砂で上等な服が汚れてしまうのは、どうやら彼にとっては、そんなに気にならなかったらしい。まあ、もともとこの服は、アルフレッドが買った服ではないのだから、そう扱ってしまう気も分からなくもないけれど、もう少し丁寧に扱ってやってもいいんじゃないか…?思って、でももう座り込んだ後だから、いまさら俺がどうこう思っても遅いか。
 太陽がゆっくり、しかし刻々とその姿を水平線の向こう側に沈めていく。俺は、その夕日に照らされたアルフレッドの横顔を見つめる。その顔には、柄にもなく疲れの色が浮かんでいて、ふとアーサーのことが頭に浮かんだ。アルフレッドの、兄、とも言える存在。彼は今、どんな表情で、いるのだろうか…。どんな顔で、今日、アルフレッドに会っていたのだろうか…。
 俺の視線を他所に、アルフレッドは夕日を見ていて、マニュアル通りに動く機械みたいに、ただ「綺麗だね」と言って、言葉を続ける。




「もう大変だよ…。アーサーは我が儘だし、フランシスはいつもによによしてる」
「そんなの、いつものことだろう?今更気にしたって遅いと思うけどな…」
「なんだい、なんだい?他人事みたいに…ヒドいよ!こっちは大変なんだぞ!」




 アルフレッドがぽこぽこ怒った。今のその姿は、まさしく子供らしくて、アーサーが我が儘だとか言えない気がしたけれど、まあ、ややこしいから口を噤む。口は災いのもと。触らぬ神に祟りなし。俺は代わりに、笑みを浮かべる。




「でも、アーサーもアルのこと、思ってそう言ってるんだから。もう少し、様子を見てみても…」




 俺の言葉で、アルフレッドから表情が飛んでしまった。きっと無意識なんだろうけど、空気が、一瞬にして凍りついたみたいだった。俺の次の言葉は、彼の続くはずだった表情と同じように、飛んで、どこかにいってしまった。
 アルフレッドは眩しいほどの夕日から視線を下に外し、足元の砂をいじりだした。




「ねえ?最近、俺…おかしいんだ。アーサーを見るとムカムカするし、イライラするんだ。まるで胃もたれだよ。…不思議だよ。彼の手料理を食べたワケでもないのに、彼を見ると気分が悪くなるんだ。「イギリス」を殴ってやりたい。蹴り倒してやりたい。心のね、奥底がそう叫ぶんだ。俺の国民が、それを願ってるんだよ…」




 それで、フランシスが心配してくるんだ。お前、顔色すごく悪いぞって。どうしてだろうね。俺はこんなに元気なのに、あのフランシスが心配してくるんだよ…。アルフレッドは何でもないかのように、そう言った。その視線は、もう夕日をとらえない。彼の意識はいったい、今どこにあるのか。俺の言葉も、引っ込んだまま…戻ってこない。
 彼らの噂は、俺の耳にも届いていた。もう世界中が囁いている。アーサーがどんどん、独りぼっちになっている。アルフレッドはどんどん、強くなっている。いろいろな国が、「アメリカ」を認め始めた。アルフレッドは強い。みんながアルフレッドに回っている。
 彼は言葉を続ける。




「アーサーを倒せだなんて、酷いよね。小さい頃はあんなによくしてもらっていたのに、楽しくて…楽しくてしかたがなかったあの頃を、俺の国民は忘れてしまったんだよ…。時間っていうのは残酷だね。俺にとっては、まるで昨日のことなのに俺の国民は忘れてしまったんだ」




 彼と遊んだことも、喧嘩したことも、フランシスから守ってもらったことも、俺が寝込んで、看病してくれたことも、「アメリカ」の心の中には、まったく…これっぽっちも存在しないんだよ…。酷いよね。あんなに助けてもらったのに。あんなに幸せだったのに、俺の心臓部は忘れてしまったんだ。俺の国民は忘れてしまったんだ。忘れて、俺に「イギリス」を倒せと言うんだ。忘れていない俺に、彼を倒せと言うんだ。ヒドい、ヒドよ…。俺にどうしろって言うんだい?忘れられない俺に、いったい彼らは、…何をさせようと言っているんだい…?
 彼の、アルフレッドの顔が見られなかった。現実が辛くて、見られなかった。どうして、こんなことにならなければならなかったのか。どうして人は忘れてしまうのか。どうして国は、忘れられないのだろうか。どうして、そういうふうに、できてしまったのか…。そういう理不尽な問いが、俺の頭をぐるぐる回った。
 俺たちに、干渉は許されない。存在は許されるが、発言権はまったくの皆無。ただ見ているだけ、そして流されるだけ。抗う術はどこにもなく、俺たちにできることは、そこに立って、立っていることだけ。
 「アメリカ」の顔が見られなかった。明日が来るのが、ただ怖かった。






(090622)