[044] hurt hurt hurt



 真っ暗な中に光りが射し込んだ。俺はダルい体に無理矢理力を入れて光源を見やる。足音、独特の固い音と、靴についた飾りが言わせるしゃらりという金属音。
 こんなところに来るやつを、俺はひとりしか知らない。




「やあ…、アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド。毎度々々ご足労いただき痛み入りますよ」




 皮肉たっぷりに言ってやったが、生憎と闇に慣れ過ぎてしまった俺の目は急な明かりに眩んで、彼がどんな表情をしているのか分からなかった。




「ほんまやでぇ。自分、ずいぶんとしぶといやん?親分もう疲れてへばりそうやぁ」
「じゃあお家に帰って、ママの腕ん中でおねんねしてたらどうだ?この前話してくれた、可愛い可愛い弟分もいるんだろ?早く帰るべきだよ親分さん」
「そうしたいのはやまやまなんやけどな。帰るゆうても、海渡らなあかんやろ?」
「そうだな。こっから陸続きではあ、帰れそうもないよなあ」
「せやろ?」
「だから俺を監禁したのか?」




 アントーニョは喰えない顔で鎖に捕らわれた俺の前に膝をついた。
 ある日突然、アントーニョに殴られた。俺は意識を飛ばして、気付いたときには服は着ていたけれど、両腕は万歳のかたちで固定されて、足首にもご丁寧に鎖がついていた。辺りを見回してみても、目に入るのはあまり親しくなりたくないものばかりだった。つまり、「そういう」部屋である。扉にノブはついてなければ、窓もなく、ただひたすらに閉塞感を与える。季節はそれほど寒くなかったし、腕を縛る鎖の長さもどうにか座れるくらいあったので、さほど苦痛ではなかったが、それでも不快ではある。思わず溜め息が出てしまうくらいに。




、また俺んとこの船だめにしてもうたみたいやん?困るで、そういうの。大事なものぎょーさん乗せとったんに、全部ぱぁなってもうたわ」
「あーそうなの?それはそれはご愁傷さまですよって。見てて面白かったぜ?嵐の中に迷い込んで来て、なす術なく海の藻屑。よっぽど俺のこと舐めてたんだろうなぁ、あの船の航海士?いや操舵主かな?」




 けらけらと笑ってやれば頬を一発殴られた。容赦の一切ない一撃に俺は無抵抗にただ咳き込む。手加減てものを知らないのか?アントーニョ親分さんは…、脳震盪一歩手前だぞ。口中に血の味が広がった。この味とも最近はすっかりお友達だ。




「いったぁ…。もうちょっと優しく扱ってくれよ。昨日も、お前の暴力に耐えてくれた健気な体なんだからさ」
「俺、そういう冗談好きやないねん」
「あ、そうなの。それはそれは残念だ。もう少しユーモアというも…っ」




 言い終わる前に、二発目が今度は腹に食い込んだ。変なタイミングで入れられたお蔭で、俺は盛大に噎せたし、少し吐いた。




「今、俺の前で何度も下種な言葉ゆうな…」
「ぅ、げぇ。ぇふ」
「発言には気ぃつけた方がええで。腸煮え繰り返って、にもっと酷いことしてまうやろ…?」




 微笑んで、優しい手つきで荒れた呼吸を続ける俺の喉元を撫でたアントーニョの目は、もちろん笑ってはいなかった。狂気に満ちた眼差しである。さすがこの地位に立つ者の威厳だ。並みの人間ならばここで失禁しても可笑しくないほどの気持ち悪さである。




「ご忠告、感謝しますよ。胆に命じておく」
「いっつも堪忍なぁ」
「そうだよ、俺はすごく寛容な心の持ち主なんだ…」




 それで、その寛大なを、アントーニョ・ヘルナンデス・カリエドさんはいったい何をさせたくて監禁なんて強行手段に出たんだ?ニヨリ、質の悪い笑みを貼り付けてアントーニョを見上げる。




「まさか俺ごときを拘束したくらいで、海を制御できるとでも思っていたのか?縛れるとでも…?まさかなあ。アントーニョ親分がそんな無意味なことを考えてるワケは、ないよな…?」




 俺はゆっくりと立ち上がる。痛み?拘束?そんなものは、本当の意味で俺には関係ない。用をなくした拘束具が重力に従って、ゆらゆら。足元の鎖も邪魔なので蹴っ飛ばして端にやる。目の前のアントーニョは何を考えているのか、ストレッチまで始めた俺をただ見つめるだけだった。




「海とは読むものだというのを忘れたのか?天候を読んで、海流、海域、その海の性格を読む」




 舐めてんのか?アントーニョ。肩に手を置いて、耳許で囁く。




「自分、ほんま腹立つわぁ。キャラぶれぶれやし…今のはめっちゃムカつく」
「ははっ!侮らないことだよアントーニョ。海は広いんだ。陽気な俺も居れば、もちろん荒々しいのもいるさ。それこそ手がつけらんねぇくらいの悪ガキだって!」
「はあ…、こんな阿呆に悩まされとるとか…俺、どんだけだらしないねん」
「そう落ち込むなって。生半可な意気込みで俺が御せるワケねーだろ!酒でも飲んで忘れろ」
「あーほんに疲れる!何でこんな疲れなあかんねん!理不尽やん!でもとは死んでも一緒に飲みたないわあ」
「えー?混ぜろよー」
「嫌やー、自分全然酔わへんやん。俺だけ飲まれるとか、割りに合わへん…」
「生きるっつうのはそーゆーもんだ、うん」
「何ゆうとんねん、調子乗んなや、あほ」
「痛っ」




 その後アントーニョはここ数日の行いが嘘だったみたいに甲斐々々しく傷口に薬とか塗ってくれた。だから俺は自分でも厭らしいと思えるくらい厭らしい笑顔を浮かべて、また苛々したら俺のことメチャクチャにしていいよ。と言ってやった。彼は疲れきった顔で「海に当たるとか意味ないし、疲れるだけやし、空しゅうなるだけやから嫌や」と言った。






(110308)