[068] see saw seen
という人間は、とても練習熱心な性格の持ち主だった。朝はかなり早くから大学の勉強に励み、夜は10時頃までトランペットの音が鳴り続ける。だからその腕前も、比例してとても上手かった。
今日も、例に漏れず、上階からトランペットの音が響いていた。俺はベランダにいた。煙草を咥え、吸って、はく。紫煙が少し寒くなってきた空気に溶け込んで消えていく。
あいつはずっと昔からトランペットを吹いていた気がする。そう言えば、肺がなんとかだから吹いているんだ。とも言っていたような気がする…。どっちにしろ、好きなことができているあいつが羨ましい。妬むなんていまさらだが、それでも妬まずにはいられない。たとえそれが、お門違いだったとしても。
…?
…、トランペットの音が、止まってる…?
あいつ、いつも近所迷惑にならないように、なにか使っているとは言っていたが、これは完全に止まっているよな…?休憩中?まさか、あいつに限ってそんなこと…。
時計を見て、上の階を見上げた。まだ終わるには早い時間だった。そう思っていたら、ガラガラという網戸の開く音。
の顔がひょこっと飛び出した。なんだか、その表情は…。
「休憩か?」
俺は思わずそう、声をかけていた。べつに声なんかかけなくてもよかったのに、どうしてそうしたのか自分でも分からない。
彼女は、弾かれたように目線を俺に向けた。
「おわっ!…なんだ、真か…。脅かさないでよ、ビックリしたじゃん。」
そう言って、少し不貞腐れた顔色に。先程の表情は、今は見えない。
「勝手に驚いたのはお前だろ。それで、練習は?」
「そんな練習、練習って…、あたしは機械じゃないんだから…。今は休憩中。」
「…、お前でもそういうときがあるんだな…。」
「そういうときって、どういうことよ。そりゃあ、真より少し熱心だとは思うけど…。」
まさか、そういうふうに思われてるなんて、考えらんなかったな…。そう言って、顔が引っ込んだ。…、なんだか嫌な予感がする…。ああ、ほら…。インターホンの音だ。
「こんばんはー、どうせあんた暇でしょ。」
「だからって…、おーい…。」
人の話しなんかこれっぽっちも訊かないで、そのままベランダに直行するあいつ。何だ?わざわざ2階に下りて来る意味があったのか?そう思いながらも、彼女の背中に続いて再びベランダに出る。
「何か見えんのか?」
空を見上げる彼女の隣で、手摺に体重を預けて同じように空を見上げる。
「見えるっていうか…、オリオン座。」
「オリオン座?」
「あれ、あれ。あの3個並んだ奴。」
「ああ、あれか…。…、どうしてオリオン座?」
「…さあ?何でだろう…。あ、でもあれかもしれない。」
「あれ?あれって、何だ?」
思い当たる節が思い浮かばない。隣の表情を見れば、懐かしむような色。
「ちょっと、中学時代を思い出した…。」
「ふーん。」
なんだか、負けた気分だ。