[093] tell told told



「兄貴の…ギルベルト・バイルシュミットの昔話を聞かせてもらえないだろうか…」




 ぽつり、休憩室の俺が座る椅子の向かいに腰を下ろしたルートヴィッヒの口から零れた言葉は、けれど常の彼に似つかわしくない弱々しい色をしていた。俺はその項垂れた表情を見ながら、今までの空気を切り替えるみたいに足を組み換える。さっきまで変態フランシスがどうのみたいな会話をしていたはずなんだけど、いったい彼はどうしたのだろう。




「えっーと…それは俺に訊くんじゃなくて、本人に訊いたらどうかな?」
「本人に訊ねられないからあなたに訊いているんだ。それにきっとうまくはぐらかされて武勇伝くらいしか訊けそうもない」
「あー確かに。しかもあいつの武勇伝、スッゴく脚色されてるからなあ」
「ああ、だからどんなに小さなことでもいいんだ。俺はあの人の幼い頃というのをまったく知らないから」




 俺はちらりとルートヴィッヒを窺った。彼はここ最近とても忙しそうにしていて、項垂れている今の表情にも暗い影がおりているように見えた。眉間の皴もじわじわと記録更新中である。俺はそれっぽく顎に手を当てる。ギルベルト・バイルシュミットの昔話とは、また随分と遠い思い出である。別に口止めとかされてないし、今ここに本人もいないのだから話しても平気だろうが、さてどこから話せばいいのか…。




「あいつのちっちゃいときの話か。うーんと…、そうだなぁ。あー、あいつが「マリア」って呼ばれてたのは知ってるか?」




 掬い上げた古い情報に、ルートヴィッヒは顔を上げて俺を見た。目はぎょっとしたように見開かれていて、彼にしては無防備なその表情に俺は少し笑った。てっきりフランシスやらアントーニョ辺りに酒の席とかで聞かされているものだと思ったのにな。




「……いや、初耳だ。マリアなんて呼ばれていたのか?あの人が…?聞いておいてなんだが…本当に?」
「いやいやマジだぜ。笑えるだろ?しかもあいつ、昔は病院の体現だったし、マリアなんて名前でそれと纏う雰囲気とかな…たぶん髪と目の色なんかも手伝ったんだと思うんだけど…、周りからスゴい扱い方をされててな…。今みたいに常識知らずじゃなかったし…その、なんて言うか、乱暴者でもなかった」




 ルートヴィッヒは神妙そうに表情を緩め、視線を手元に戻した。ほんとに、当時のギルベルトは今の彼とは思えない性質をしていた。それはなんとなく、ルートヴィッヒに詳細を語るのを躊躇わせるほどである。でもまったく、なんて説明すればいいのか。人間の姿形をしていたのに人間として扱われなかったとか。管理され過ぎた生活ゆえに、ギルベルトは初め、自分が男か女かも分からなかったとか。さすがにこれはルートヴィッヒには衝撃が強すぎるだろうし、俺が話していい内容でないから言わないけれど。でもひとつだけ、全然あの頃のギルベルトと今のギルベルトとを繋ぐ共通点がある。
 その色。




「その、手伝った色というのは…、金と、碧のことか…?」
「いや、今と同じだ」




 プラチナブロンドと、ルビーみたいな鮮やかな紅。ルートヴィッヒは本日二度目、目を大きく見開いた。




「金髪碧眼じゃなかったのか?」
「うん違ったよ。だから「マリア」なんて大層な名前で呼ばれてたし、ある種異常なまでに、崇拝なんてされてた」




 騎士団の中に混ざっていたあの色彩は、確かにあまりにも異質で、その異端さが同じ「人」であると人々に思えわせなかった。
 ルートヴィッヒは一度コーヒーを取りに立ち上がった。飲むかと訊かれ、俺は飲むと答え、手渡された紙コップに口をつける。




「俺は、…あの人は、ずっと昔から俺と同じ色をしていると思っていた。だから俺もこの色なのだと」
「ギルベルトは、そうだな…。国の体現、というよりも民の体現、と言った方が正しかったからなあ…」




 だからそういうの…酷く影響を受けた。俺が覚えている彼の変化は少なくとも3回だ。彼が今で言われる「プロイセン」の地に辿り着いたとき、彼らのドイツが統一されたとき、そしてたぶん恐らく今…。まだ遠目でしか見えなかったけれど、東ドイツとして今日の会議に現れた彼の色は随分と懐かしい色彩をしていた。




「にしても、ルートヴィッヒがギルベルトの色彩を知らなかったのには驚いたな」
「俺にだって知らないことのひとつやふたつある。特に昔のことなど俺が知り得るはずがないだろう」
「そうなのか?俺はってきり兄貴のことなら何でも知ってるもんだと思ってたぞ」
「そこまで執着していたら異常だ」
「でも俺に訊いて来たからルートヴィヒは異常者の仲間入りだな」




 ニヤリと悪い笑みで言ってやれば、ルートヴィッヒは不機嫌そうにしていた顔を一瞬赤くさせた。しばらく何か言おうとして、口を開けたり閉じたりさせていたが、やがて諦めたように息を吐いた。




「否定、はしない…。かなり語弊はあるが」
「お?いやに素直じゃないか。嫌がるかと思ったのに」
「当たり前だ。ここに他に誰かいれば、俺はあなたを締め上げている自信がある」
「あー、」




 確かにそれはあり得そうだ。思って、俺は引きつった笑みを浮かべた。
 少し会話が途切れた。俺は思い出したようにコーヒーを飲む。備え付けのコーヒーの安い苦さに、俺は唐突に現実を突き付けられた気がした。




「どちらにしても俺はやはり、兄貴のことを少しも知らなかったんだな…」
「そんなことないと思うよ。ルートヴィッヒはみんなの知らないギルベルトを知ってるじゃないか、兄貴なギルベルトはルートヴィッヒにしか見られないだろ?」
「そう、だろうか…」
「そうだよ。だからそんな顔しなくていい」
「でも、俺は…あの人に酷いことをしてしまった…。あの色彩は、きっと俺の所為だ」




 刹那、空気が凍りついたような錯覚に陥った。




「違うよ。あれはギルベルトの覚悟の表れだ。ルートヴィッヒの所為じゃない。元に戻ったんだと思えばいい」
「でも俺の知っている兄さんは、あんな姿をしていなかった。髪と…目の色も、あれではなかった。きっと俺の所為だ。俺が奪わせてしまった」




 どんどん低くなっていく頭に、俺はかける言葉を見出だせない。




「なあ、。俺はどうすればよかったんだ…?どうすればあの人に許してもらえる?きっと俺はあの人に嫌われている。俺が居なければあの人はあんな状態にならずにすんだし、国で在り続けることができた…。全部俺が駄目にしてしまった。なあ、…、俺は…俺は………」




 俺は深く息を吸い込んだ。悉く厄介な連中だよ、国々っていうのは。なあギルベルト、お前の綺麗すぎる自己犠牲はやっぱり何も残さなかったよ。でもこれできっと忘れちゃいけないものを学んだよな。




「はあ…。なあ、ルートヴィヒ?家族が家族の心配をするのは当然のことだ。何も気に病む必要はない。家族が家族のために尽くすのも当然のことだ。気にする必要なんてどこにもない。それでももし君がそれを気に病むと言うのなら、二度と犯したくないと言うのなら、忘れずに大事にしまっておけ。学習することはなんにだってできる。立派な脳みそはお飾りじゃないだろう?全部忘れないでいてやることだ。そしてそれをちゃんと後世へ伝えること。そうしたら何も怖くないよ」




 怖くない怖くない。まるで子供に言い聞かせるように何度も繰り返した。ルートヴィヒは暫くは無言だったが、やがてぐいと紙コップを煽った。




「可笑しな質問をしてすまなかった。お詫びに今日夕食に誘わせてくれないか?」
「ん?じゃあ俺美味いビールが飲みたいな。でもあんま高くないやつな。それと一緒に美味いヴルストがあればサイコーだ」
「分かった。手配しておこう。そろそろ時間なので俺は先に失礼するぞ」
「うん、お仕事がんばって。連絡待ってるぜ、ダーリン」
「気色の悪いことを言わないでくれ、思わず吐くだろう」




 言って出て行った背中に苦笑する。つくづく冗談が通じない奴である。彼に倣って俺もコーヒーを一気飲みしてみた。やっぱり安っぽい苦味しかしなかったが、不思議と後味は悪くなかった。






(110316)