次に目が覚めたとき、見えたのは、やっぱりあの天井だったけれど、それと自分との中空に、奇妙な生き物がいるのに気付いた。さっき起きたときに見た覚えはないけれど、もしかするとあのときは、気持ちの整理がついてなくて、脳がこれらを認識できていなかったのかもしれない。そしてもう一度、眠りから覚めた今、変わらない現実に、脳も諦めて、それらを視認するようになったのかもしれない。感覚論だけれど、でもそれがいちばん、俺自身も納得できる。にしても何だ…、あれ。見たことないな…。フツーの生き物、なワケないよな…。光ってるし、どういう体のつくりをすれば、あんな動きができるのか、検討もつかない…。俺は、布団の中に入ったまま、その「奇妙な生き物」を眺める。うっすらと輝いているそれは、子供のおもちゃにしてはよくできすぎていて、生き物と呼ぶには、おかしな姿をしすぎていた。なんだかこれは、ますます異世界説が堅実味を帯びてしまったようだ。または夢オチ。いちばん簡単で、いちばん残念な結末。でも、俺今寝てちゃんと起きれたから、さすがにそれはないよな…。夢の中で寝て、夢を見ない…ということはないとは言いきれないけれど、それにしては、この夢はいささか感覚がはっきりしすぎている。
 とりあえず上空を漂う物体を無視して、ゆっくり起き上がってみる。さっきはずいぶん取り乱してしまった。一通り体を動かしてみて異常がないかどうか確認する。まったく覚えはないが、山で倒れていたんだ。何かあってもおかしくはない、多分。鏡がないから細部までは分からなかったが、どうやら大きな怪我はなくて、普通に立ち上がることもできた。にしても、いったい俺はどのくらい寝ていたのだろうか。これで、一日が経過しているようであれば、俺の神経はかなり図太いよな。普通こんな状況下で、暢気に一日爆睡できるやつは、相当の無神経だ。襖の方に目を向けれれば、外はうっすらと明るくて、けれど時計も何もないこの部屋で、今が夕方なのか、明け方なのかを知る術は、やはりなかった。外に行けば何か分かるかもしれないと、布団から抜け出て、襖を開ける。




「起きたのか。」
「あ、えっと…。」
「…だいぶ寝てたぞ、あんた。」




 声をかけられて、冗談抜きで俺の体は固まる。…、マジでビビった。最近こういう多くなってる気がする。そういえばさっきもいきなり喋りかけられた。ほんと心臓に悪い。
 声をかけてきたのはモノクルの男の方だった。どうやら様子を見に来たところで、ちょうど俺が出てきたらしい。そう考えると、やはり間が悪いのは俺の方だろうか…。とにかく、彼は起き上がれるようなら、こっち来て話すか?と訊いてきたので、俺は二つ返事で了承する。




「そういえば名前しか訊いていなかったな。は普段、何をしてるんだ?」
「…、学生?いや、書生?えっと、勉強…してる人です?」




 こ、この時代って、大学ねーよ…。どうやって説明すりゃいいんだ…?もう半べそだ。勉強してる人なんて、頭が悪いにもほどがある…。けれど、幸か不幸か、化野さん?は、そこは聞き流して、「勉強?いったい、何の?」と問うてきた。え、でもこれもどうやって答えればいいんだろうか…。海外とかの話はしてもいいのか?今は文学部に所属していますと言っても、絶対に通じっこない。結局これにも、「いろいろです…。」としか答えられなかった。自分のボキャブラリの無さに涙が出そうだ。




「なんだか難しいことしてんだな…。俺の方は医者をやっている。と言っても、ただの町医者だがな。」
「医者…。」




 繰り返せば、お前のことも俺が診たんだ。と、どことなくニヤリと誇らしげな表情が向けられた。…言動が、なんとなくそれっぽいとおもったけれど…まさか医者、だったんだ…。俺のことを診てくれたことといい、そういうのに詳しいのかと思ったら、どんぴしゃっすか。思わず、続く言葉が「ああ、はあ。」なんて間の抜けたものになってしてしまった。何やってんだ自分…。ちょっと泣きたくなった。無性に不自然な動きになってしまった。ガチガチ?みたいな、いまさら緊張?みたいな。どちらにしろ情けないことに変わりはない。
 部屋に案内されると、まず煙が目に飛び込んだ。白髪の方が、タバコを吸っていた。俺の周りは吸ってる奴そんなにいないから、なんとなく新鮮に映ったのと、この時代に、もうこんな物あったんだ、というどことなく見下しの見解が浮かんだ。なんにしろ、頭の弱いことこの上ない。まったく、さっきから散々だ。




「それで、そっちの見慣れない服装がギンコだ。蟲師をやっている。」
「ああ、何だ?いきなり自己紹介してんのか?」




 ちょっとだけ不機嫌そうな目で見上げる、白髪…ギンコさんの隣に俺たちは腰を下ろして、そう言えば、ギンコさんには俺の名前すら言ってないことに気付いて、言おうと思ったけれど、予想外な単語に頭がこんがらがってしまった。蟲師…?え、それ職業…?語彙的にもしかしなくても、虫の専門家?そういえば、寝る前になんか訊いたな…。俺の体に虫がどうとか…。生物学とかに詳しかったりするのだろうか…。いや、でもじゃあどうして蟲師?




「その顔じゃ、どうやら理解できてないようだな。」




 タバコを吹かしながら、ギンコさんが苦笑気味にそう言った。俺は反射的に「はは」なんて乾いた笑いを零し、後頭部を掻いた。いわゆる照れ隠し。というよりも、なんだか居心地が悪いときの俺の癖。




「蟲、とは普段、俺たちが接する虫とはまた別の生き物だ。虫の字を3つ合わせた字をしていて、別名「みどりもの」とも呼ばれている。俺たち生き物の、根っこの方のいきもんだ。」
「根っこ…。」
「ああ、菌なんかよりももっと原始的で、魂にいちばん近いところにいるとも言われている。」




 それでも、飲み込めない表情をする俺に、ギンコさんは気にするなと言葉を付け加えた。蟲は見える奴と、見えない奴がいる。俺は見えるが、化野は見えないんだ。んなに気にしなくてもいい。とのこと。でも、そんなものの存在、俺の生きてきた世界には存在しなかったんだ…。これは本格的に、ここが「別世界」だということを、諦めて、認めなくてはいけないかもしれない…。
 俺の視線は、自分の膝の上に固められた拳をずっと見続ける。俺の気分は、ちょっとだけ沈んだ。何か、嫌なことに巻き込まれている気がしてならなかった。向こうで生活していたときは、何も変わらない生活に辟易していたのに…いざ、こうやって異常事態に晒されると、あの頃に帰りたい、元いた場所に戻りたい、と切実に思う。
 愚かだな…。失わないと、気付かない…。




「お前の、名前は?」
です。」
「珍しい名だな。」
「そうです…か?」




 珍しくもなんともない、と思うんだけど…。父方の実家に行けばそこら中、だし。それに、なかなか聞かない名前でもない。それよりも、「化野」や「ギンコ」の方がどう考えても少ない。そんな名前は、聞き慣れない。聞いたことが、ない。
 ここにきて俺は、漸く諦める。今まで、もしかしたらずっと田舎の方で、その村単為でしか伝承されない話なんかを聞かされているものだと理解していたけれど、もうそれは無理だ。もう、逃げることはできない。
 俺はどうやら、とんでもないところに来てしまったらしい…。






(090316)