その後もなんだかんだ他愛のない会話が続き、気づけばもうすっかり夜更けになっていた。それにしても、この世界って実はけっこう面白い。蟲の存在然り、どうやら外国との接点も、俺がいた世界とは少々異なるらしい。ギンコさんがズボンを着用しているのがいい例だ。まあ、日本史を勉強していたのは高校時代だから、あまり正確なことは言えないけれどね…。
俺は伸びをして、ゆっくりと立ち上がる。
「ギンコさん、俺そろそろ休みます。今日は、話を訊いてくれてありがとう。」
「ああ…もう、そんなか。」
立ち上がった俺をギンコがそういえばという風に見上げる。彼もそんなに遅くなっているとは思わなかったらしい。ギンコさんの会話はもちろん楽しかったけれど、時計がない所為か、時間が過ぎるのが早く感じる。いや、もしかすると相対性理論。楽しかったから、時間の流れが早く感じた。
「やっぱり頑張ってみようと思います。自分のこと、探すの。ギンコさんからいろいろ聞いて、決めました。やっぱり俺は、元の生活に戻らないと。」
「…止めはしないが、例えば…何か案がんのか?」
「、えっーと…。」
ギンコさんが俺を見上げる。その視線に俺は、言葉が詰まってしまった。そう、改めてそう問われると、悩む…。化野先生はさっき、どれくらいいてくれても構わないと言ってくれた。けれどやっぱり、それじゃあ何も始まらない気がするから…。だけど、今の俺にできることなんて、本当にこれっぽっちもない。それが現実。それが真実。
何かしなくてはいけないのだけれど、いざとなると…。どうにも、上手くはいかない。
「旅、とか…してみようかな、なんて。」
「が?」
苦し紛れに溢れた言葉に、ギンコさんは冗談でも言うみたいに笑って、俺の肩らへんに視線を向けた。きっと背格好を見ているのだろう。自分の身長も体重も、俺の学校では平均的な体格だったけれど、畑仕事をしているこちらの同世代と比べたら、否が応でも差は歴然だ。どう足掻いても、いささか貧弱に見えてしまう。時代の流れというものだ。
無駄に身長だけある今の俺は、ギンコさんから見れば「もやし」のようなものだろうか…。いや、考えないようにしよう。なんだか切なくなってきた。
「さあ、どうしよう…。どうすればいいと思います…?」
「俺に聞くなよ、専門外だ。医療のことなら化野に聞け。」
ああそっか、医者だったか、そう言えば…。でもそれはいい。やっても全然、意味はない。だって、本当に記憶喪失なワケではないから。少しだけ、嘆息。すべて忘れてしまった方が、まだマシだったな…。俺は空に視線を泳がせる。変わらない、変わらない。俺がどんな状況に陥ろうと、世界はいつだって…どこも変わらない。
「ギンコさんは旅、したことある?」
「ある…と言うより、して「いる」か…。俺の場合はそうせざるを得なかったんだ。」
「…?どうして?」
蟲を呼んじまうから。と、煙草を吹かしながら、そう言った。まるで明日は雨だ。と言っているような口調で言われ、そう言われてみれば、確かに先程よりも飛び回る光りが多くなっているような気がする。とも、思ったけれど。けれど、けれどそれは。
普通のこと、ではないよね…。
思わず、彼から視線が外れる。なんだか聞いてはいけないことに触れてしまったような気分だったが、彼の雰囲気に全く崩れた様子はなかった。俺が動揺するのは、あまりにも不自然だった。
「半年もひとところに留まれば、もうそこは人の住める場所じゃなくなっちまう…。」
「、そういうものもあるんですか?」
「そういうものもあんだよ。所詮にとったら他人事だろうがな。」
俺の返答が気にくわなかったのか、ギンコさんは呆れたような、怒っているような、どちらとも取れる表情で睨んできた。俺はカラカラとそれに笑い返す。よかった、俺の同様は気付かれなかったようだ…。
大きな溜め息でもつくように、ギンコは紫煙を暗闇に放つ。それにしても、完全に寝るタイミングを逸してしまった。話が終わらない。これは意味不明に思われるのを承知で、また座り込むべきだろうか…。俺が地味に悩んでいると、今までと違う調子でギンコさんが名前を呼んできた。ドキリ、と心臓がはねた。
「なあ、…。」
「…?何ですか?。」
「もしもに、これといった宛がないのなら、俺と一緒に旅をしないか?」
一瞬、言われた意味が飲み込めなかった。危惧していた内容ではなかったが、…そもそも俺がギンコさんに対して勝手に気まずくなっているだけだけど…、とにかく掛けられた言葉が予想外なことに代わりはなくて、俺の口からはとてもとても間抜けな声が出た。
「あ、ぅ…えっと、ギンコさんって、そういう人でしたっけ?」
「…普段は違う。」
「え?じゃあ、何で…面倒みるみたいなこと言ってくれるんですか?」
ギンコさんは少しの間、迷うような素振りを見せ、でも結局は裏があるように「人は一日じゃ測れん生き物だろう」と言った。
なんだか、凄く気になるけれど、これは千載一遇のチャンスじゃないのか。跳ね除ける理由はない。そして俺は、ここだ!とばかりにギンコさんを正面からとらえるかたちで座り込む。ギンコさんはさっきの俺と同じように庭の方に身体を向けているので、正面向き合いながら座れたワケではないが、…が、やっと座れた!
「もしも、ににその気があるのなら、準備が整い次第、出ようと思う。早ければ、早い方がいい。」
化野の家を蟲だらけにはしたくねーからな。彼は自嘲気味にそう言って笑た。俺は返答につまった。彼には、裏がある…ように思う。漠然と、そう感じた。では、それならばどうして、「俺の故郷を探す手伝いをしたい」などと言ってきたのか。さきほどの彼の言動は、どう見たって不自然だった。けれどそれはまだ、探らないほうがいいのだろうな…。気になるけれど…、でもなんとなく、それを聞いてはいけない気がした。でも、なんだかおかしくなってきて、ちょっと笑ってしまった。
なんだ、…運命ってのは、まだ完全に俺を見捨てたワケではなかったのか。
「じゃあ、ギンコさん、これから…お世話になります。」
「ああ…。いちおう、倒れてるあんたを助けちまったしな。これも何かの縁だろう、最後まで付き合うさ。」
そして彼は、遠い目を俺に向けた。見られているのに、まったくそのように感じないのは、彼が俺を通して何か別のものを、見ているからだろうか。それても、ただ俺が疑心暗鬼なだけか…。どちらにしても、やっぱり彼が俺を助けてくれるのは、何かあるからなんだろうな…。
「なんか…、ギンコさんってほんとは物好きだったんだね。」
「…放っておけないだけだ。」
嫌そうに顔を歪めながらギンコさんはそう言った。絶対に違うと思ったけれど、俺はそう思うことにした。
(090426)