一緒に行かないか。そういう風にギンコさんから誘われて、俺の心境はけれど自分でも驚くほどはっきり決まっていた。まあ、案の定…というやつである。そもそも他に、俺にできることなんてやっぱりなかったし…。それにどうしたって、俺にとってはこれ以上ない待遇だった。予想通り、化野先生には「本気か?死ぬぞ!」とまで言われたけど、俺としては別にこれで良かったと思ってるし、後悔はしていない。踏ん切りだけなら、この世界にいるというその事実だけで、ついている。何もしないことこそが、俺にとって悔いが残る結果を出すだろう。
っていうか、それで、実はもう既に出発していたりするワケだったり…。俺はふっと空を仰ぐ。事の運びの早さに予期していたとは言え、目が回る。ああ…ほんと、太陽光が目にしみるよ…。光化学スモッグのない空ってのは、俺にはまったく免疫がない。っていうか空、高すぎ…だよな。さすが秋空…。都会の空気しか今まで知らなかったから、こういう…澄んだ環境っていうのとは、何度も言うけれど俺にはやっぱり全然、関わりがないものだった。だいたい、草原とか、都市部にはないし…。そのままボォーっと突っ立ったまま空を見上げていた俺に、背中側から風と一緒に声が届く。
「何してんだ、?早くしないと野宿になるぞ。」
「あ、ああ…うん。今行く。」
呼ばれて、走る。草を踏むしゃくしゃくした音と感触が、靴の裏から伝わる。
とにかく、今の段階では俺がどうやってこの世界に来てしまったのか、皆目、検討もつかないけれど、でも来てしまったのだからきっと帰る方法も探せばあるのだろう。こっちには「蟲」という存在もあることだし、可能性はゼロじゃないはずだ…。そりゃあ、俺に旅なんて無謀かもしれない。っていうか化野先生には全否定されて、誘った本人であるギンコさんにも渋い顔をされたけど…でも、それでも…何か、したかったから…。
…最初の方は辛かった、確かに。生粋の都会育ちに、この大自然のハイキングはキツいものがある。…ハイキングっていうか、きっとギンコさんにすれば、ただ歩いているだけの道なんだけど、体力のない俺にとってはかなりクる。だいたいハイキングなんて、中学校の移動教室以来だし、あのときも翌日はもれなく全身筋肉痛だった。それがこれからは毎日になる。この時代に乗り物という移動手段がないのは当然だったし、いちおうこれも予期していた事態のひとつだった。…だったけれど、まさかコレほどまでとは思っていなくて、こういうことを考えると、これから先が憂鬱でしかなかった。
みんなが自分の足で歩く。当たり前のそれが、今はとても憎らしい。お蔭さまで現在進行形、体力的な問題と思われる熱でぶっ倒れそうだ。
「その辺、足場が不安定だから気をつけろ。そうじゃなくても、はトロいんだから。」
「…、そこまで鈍くはないですよ。」
「どうだかな。」
そしてニヤリ、バカにしているような笑みを向けられる。何か言い返そうとしたけれど、そういえば、自分が見事に踏み外して捻挫したことを思い出して、言葉が口の中でぐにゃぐにゃひしゃげていっってしまった。慌てて他の言葉を捜してみる。いや、あのときはちゃんと前を向いて歩いていたつもりだったんだよ。ちっさい頃は「風の子の体現だな。」って言われてたんだぜ?なのに、現実ってのはかなりシビアだ。所詮、過去は過去であるらしい。前見てたのに、うっかり滑ったって自分、どんだけ?雨で濡れていたとじゃなくて、フツーにコケたって、どんだけ俺ドジなんだ?もう何だか泣きてーよ。うああ、これはダメだ。どこを探しても上手い言葉が見つからない…。苦しさを紛らすように、ジーンズのポケットに両手を突っ込む。
ああそうだ、余談。俺の持ち物は、意外と残っていたらしい。鞄はさすがになくなっているだろうと思って、それはその通りだったのだけれど、俺が着ていた服に入れていた物は何故だか残っていた。例えば今着ているジーパン、Tシャツ…まあ今は秋近いからギンコさんから上着を一枚借りてるけど…あ、あと靴に、財布、携帯、鍵。まあ、他はいろいろ…ガムのゴミとか…。
「ああ、言い忘れていたが、今回は依頼人がいるからな。ちゃんとした仕事だから、その阿呆面をなんとかしておけよ。」
思い出したような口振りに、けれど俺の関心は違うところに向いた。何か今、いいこと思いついた。さんざい言われたし、俺も何か言ってやろう。
「へー、この間からいっつも蟲にしか目が行かないとか思ってたけど。ちゃんとギンコさんに、相談事を持ち込む人がいたんだね…。」
「そうか、そういうことを言うは今日の夕食抜きだな。」
「え?えっ?まっ、ちょっ…ごめん、ごめん、ごめんなさい!食べる食べます食べるって!!」
墓穴を掘った。
(090511)