足先から指先まで
時間は放課後。吹奏楽部も終わり、そろそろ放課後すらも終了しそうな時間帯。俺は、屋上一歩手前の踊場にいた。そこで、しゃがみ込んで、体育座。呼吸が乱れて、意識が乱れて、今、自分がどうなっているのかが分からなかった。混乱なんてレベルじゃなくて、もっと根本的な部分がイカレはじめていた。
原因は、僅か5分前に遡る。
「好きです。」
そんな言葉が俺の耳に入ってきた。勿論、俺宛にじゃない。知らない誰か宛だ。だって、声は女子のものだから、同じ女の俺が言われるわけがない。…、まあ、一人称が「俺」だったり、諸事情によって制服が男子のだったりするけれども、とりあえず、性別上は女なんです。
とか、そういう無駄な考えは置いといて…、きっとこれは告白の台詞なんだろう。時間帯が時間帯だし、人もいないし(俺がいるけど…)、兎に角うってつけの時間帯。だから俺は、絶対に訊いちゃいけない。それは2人にも迷惑だし、やっぱり最後まで訊いてしまって、罪悪感を抱かないわけがない。今、俺がいるのは玄関に一番近い所の階段の真ん中辺り。Uターンして、教室で少し待っていれば、声のした方向からして、下駄箱の所にいる2人は、きっとすぐにいなくなるだろう。あー、っていうかなんで、俺って奴はこう悪運だけは強いの…?!と、自分の運の悪さを呪いたくなったけれど、今はそんなことをしている場合じゃない。兎に角、悪運のお蔭で、最初の重要な一言は聞こえてしまったけれど、今からでも遅くはないはずだ…。俺は、足音をたてないように、ゆっくりと踵を返そうとして、
「わりぃ…、」
その一言で失敗する。
…あれ?もしかして、この声って「トシ」の…?
土方 十四郎、同じ3Zの生徒で、俺の斜め後ろの席に座る、いつも瞳孔の開いた、不機嫌そうな表情の男子生徒。その彼の声の所為で、俺の足はそこに根が生えたかのように動かなくなってしまった。自分でも、どうしてそうなってしまったのか、俺には分からなかったけれど、兎に角、俺の足は一向に動く兆しを見せなくなってしまった。
「…どうして?好きな人でも」
「ああ。いる。」
必死な相手の言葉を遮る、無愛想な返事。もっと丁寧に断ればいいのに…とか、ああ、好きな人、いるんだ…とか、ヤバイ、そろそろ本当にここから離れないと…とか、そういう感情が頭をグルグルし始めた。わけが分からなくなってきた。とにかく俺は、ここから居なくならないといけない。でも、もうその動作も、相手のためなのか、それとも自分のためなのか、それすらも分からなくなってきていた。
いけない、ここで焦ったら、逆効果だ…。落ち着かないと…、墓穴を掘るのは俺以外の何者でもないんだから…。
「だから、おまえはとは」
でも、やっぱり正常な行動はできなかった。俺はもう、訊きたくなくて、無理矢理足を動かした。そこに最初のような冷静さはなく、殺し切れない足音が玄関に響く。聴こえていないことを祈りつつ、でも絶対聴こえてるんだろうな…。という絶望感を抱いて、俺は当初の目的通り、階段を駆け上がった。
もう、何もかもがどうでもよくて、ほとんど自棄だった。
まあ、それで、今に至る…。未だ、頭は混乱したままで、教室に向かうはずだった足は、何故か一番上まで上っていた。屋上、そこは俺が転校してからの思い出が、たくさん詰まった場所。みんなで弁当を広げたり、暇な時とか、暑い時は決まってここに来ていた。
勿論、トシとも…。
…あー…、俺…一体どうしちゃったんだろう…、どうした…、いつものお前はこんなに女々しい奴だったか…?もともと丸まっていた背中は、さらに角度をつけ、足も上体に近づき、両腕は頭を抱えた。
…自分の感情が一番理解できなかった、今も昔も。他人の感情はなんとなくだけど、分かれていたと思う。現に、俺にはかけがえのない友人が、もうたくさんいる。だから、多分…大丈夫だと思う。けど、自分の感情だけは、分からなかった。今、自分が何をしたいのか。どうして、それをするのか。どうして、そうなってしまうのか。全く、見当もつかなかった。
だけど、今、この瞬間の感情だけは分かるような気がした。
好きなんだ、きっと、俺は、トシのことが…。
自分が、他人を好きになるなんて、まだまだ先だと思っていた。そりゃあ、友達が「〜誰々を好きになったんだ」と言っているのを訊く時は、流石に複雑な感情になった。興味がないとも言い切れず、僻んでいないとも言い切れず、いつも曖昧だった。
けど、今ハッキリ言い切れる。俺はトシのことが好きだ。だって、こんなにも胸が苦しい。そうだ、トシはモテるんだ。あの瞳孔開きっぱなしの不機嫌な面も、格好いいの部類だし、言動もクールとか思われてるんだった…。俺は、あいつの内面も知っていて、マヨラーとかいう部分も知っているから、そういうふうには見えなかったけれど、他の人は違うんだ。他の人は、そうは思っていないんだ…。
完全に自覚したら、さっきよりも頭がゴチャゴチャになった。でも、さっきみたいに慌てるようなことはしないだろうと思った。よし!そうと分かれば、今はとりあえず、帰ることにしよう。自覚したからって、何かが変わるわけじゃない。きっと俺は明日も普通に彼と接することができるだろう。
これ以上悩んでいると帰れなくなりそうだったから、そういう結論に無理矢理至らせて、俺はスクッと立ち上がった。階段を下りる。足取りにさっきみたいな焦りはない。よし、大丈夫。
そう思ったけれど、これで俺の悪運が黙ったわけではなかった。2階と3階の真ん中、そこで、トシと鉢合わせてしまった。
一瞬にして言葉が迷子になり、なんて声をかければいいのか、分からなくなった。彼の方の表情は変わらず、いつもの不機嫌そうな表情だった、余裕があるように見えた。
しばらく、沈黙が続き、彼の方が口を開いた。
「お前、訊いたのか…?」
彼の目が俺を射抜く。何を?とは言わなくても分かる。ああ…、駄目だ…。下手な嘘はつけっこない。俺は、コクンと、頷いた。
「そうか…。」
彼は視線を俺から外して、生徒会が壁に貼ったプリントを見つめた。
「……。」
「……。」
「…ごめん」
この空気は俺が作ってる。折角自覚したのに、こんなの最悪だ…。泣きたくなった、目頭が熱くなった。彼の目が、もう一度俺を向く。目が合って、驚いた。トシの目に、迷いの色が見えたから。彼はすぐに目を逸らした。
なんとなく、彼らしくなかった。彼は、口を開いた。目は合わせずに、独り言のように。
俺は、好きな奴がいるんだ。そいつは、いつも能天気で、マイペースで、周りのことなんかこれっぽっちも気にしねーから。目が、離せなかった。
…そうしていたら、好きになっちまってた…。分かったら、ずっと一緒にいてーと思った。ずっと笑っていてほしいと思った。そいつの笑顔が見たくて、近くに行って、上手くいかなくて、それでも何度も隣に立った。
そして今も、
「俺は、そいつの近くにいる。」
トシの目が、俺を向いた。自分の頬が濡れるのを感じた。